元ネタから考える残無と日狭美の関係性

幻覚度 8

 日白残無と豫母都日狭美の二人、いわゆる「ざんひさ」は非常に人気のある組み合わせです。筆者も大好きです。……が、元ネタについて考えてみると、結構謎が多いように思われます。

 残無様の元ネタは戦国時代の禅僧「残夢」です。

 日狭美の元ネタは日本神話の鬼女「黄泉醜女」です。

 両者に直接的なつながりは無く、冷静に考えると不思議な組み合わせです。

 あるいはこれらを結びつけたのは単に神主の独創なのかもしれませんが、独創の一言で片付けてしまうのも何というか、発展性のない話です。もう少し掘り下げられるような気もします。

 というわけで幻覚を承知の上で「ざんひさ」の関係性を元ネタから考えていこうと思います。

禅における黄泉

 残無様は禅僧です。したがってその背景にある宗教は禅です。まずは禅というキーワードから黄泉醜女との関わりを探れそうです。

 試みに『岩波仏教辞典第三版』を引いてみると、〈黄泉〉の項で参考になりそうな記述があります。

なお中国・日本の禅僧でも,辞世の偈に,死後に行くべき世界を〈黄泉〉と呼んでいる例がある.

 辞世の偈というのは僧侶が遷化するに臨んで詠む漢詩のことです。遺偈ともいいます。具体的な例を挙げれば、曹洞宗の道元禅師は「活きながら黄泉に陥(お)つ」という句を含んだ偈を詠んでいます。また道元の師である天童如浄も、全く同じ「活きながら黄泉に陥(お)つ」を含んだ偈を詠んでいます。

 このように禅宗では、死後に行くべき世界を黄泉と呼ぶ場合があります。残無様が日狭美と出会ったのも、このことと何らかの関係があったかもしれません。

日白残無と一休宗純

 ところで残無様の元ネタは禅僧残夢ですが、残夢以外にも伝説的な僧侶のイメージが複数入っているように思われます。マジだよ。具体的には三蔵法師、趙州従諗などですが、その中の一人に一休宗純がいます。

日白残無に重なる“高僧たち”のイメージ
三蔵法師、臨済義玄、趙州従諗、一休宗純など、日白残無に重なる高僧たちのイメージについて考える。日白残無の元ネタは「残夢」以外にも見出せるか

 残無様と一休を繋ぐ点はいくつかあります。

 ①残無様の弾幕では髑髏のついた光る槍のようなものが出現しますが、これは「髑髏をつけた杖で通りを練り歩いた」という一休の伝説を想起させます。

 ②また、『東方外來韋編 Strange Creators of Outer World. 2024』のインタビュー(p19)において、ZUNさんが「仏教の死生観の話になるんですが、なんなら自ら地獄に行って死を隣に置きたかったんです。ちょっと一休宗純と被っている」と発言していること。

 ③元ネタの伝説では、残夢は「一休の友となり禅の教えをうけた」と語っていたこと。

 等があります。それぞれ①原作のレベル、②メタ的なレベル、③元ネタのレベルで繋がりが見えます。これらを総合して、残無様に一休宗純のイメージを重ねて見るのはアリなんじゃないかなと思います。

 そして、日狭美との関係を考える場合、直接的な元ネタである残夢よりもむしろこの一休宗純から考えた方が良いのではないか、と個人的には思っています。

 一休は黄泉という言葉をしばしば使いました。彼の編んだ漢詩集『狂雲集』の中では、黄泉という語が合計9回出てきます。そのうち4例は「黄泉の路」、「黄泉路上」、「黄泉幾路程」、「黄泉へ行脚の路」などであり、かなり日狭美の「振り向かない黄泉の道」を連想させるものになっています。ほぼ同じ意味である泉下、泉路という語も何度か見えます。

豫母都日狭美と森侍者

 一休と聞くと、いわゆる一休さんが出てきます。とんち話で有名な可愛らしい小僧が脳裏に浮かびますが、それとは裏腹に史実の一休はかなりの激ヤバ男でした。高い境地を得た高僧でありながら堂々と肉を喰らい、魚を喰らい、酒を飲み、遊郭に出入りし、男色まで嗜むなどして破戒のかぎりを尽くしました。しかもそれを七言絶句の漢詩にするという風狂ぶり。逸脱者という言葉が似合います。

 にもかかわらず天皇には信頼され、当時一流の文化人たちはこぞって彼の周りに集まりました。多数の弟子たちにも慕われ、一般民衆にまで愛されるなど、不思議としか言いようのない魅力の持ち主でした。只者でなかったということだけは間違いありません。

 一休は七十歳をゆうに超えてから、森(しん)という盲目の美女と同棲したことでも知られています。史料には「森侍者」の名で現れるこの美女について、詳しいことは殆ど分かりません。ただひたすら一休に愛されたということが分かるのみです。彼女との性愛を赤裸々に詠んだ詩が『狂雲集』には多数収められています。そのこともあってか、『狂雲集』は長らく宗門で禁書扱いになっていたのだとか……。

 老僧一休が愛した盲目の美女「森侍者」。彼女こそが日狭美の原像ではないかと、幻覚は承知の上で筆者は考えています。

 一休と森侍者の関係は、「破戒僧と美女」という組み合わせに抽象化することが出来ます。そしてそれは残無様と日狭美の関係にも当てはめることが出来るのではないでしょうか。破戒僧の隣に美女がいると、何か非常にキャラクターとして似合う組み合わせになりますが、このキャラクターの原型はどこから来ているかと考えた時に「一休と森侍者」がそれではないかな……と思った次第です。「ざんひさ」にも、どこかそういう気配があるような気がしています。

 また、森侍者は盲目であったといいますが、それも今のところ東方唯一のメカクレである日狭美と似通うところがあります。

 一休は森侍者を楊貴妃に譬えるなどして非常に愛しました。また森侍者の方もどうやら深く慕っていたようで、一休没後の三十三回忌にまで彼女の供養が記録に残っています。

 残無様と日狭美の関係がもし、一休と森侍者の関係に当てはめられるとすれば、残無様も日狭美のことを内心では憎からず思っているのではないでしょうか。日狭美から向けられる巨大な感情も実は心地よく受け止めているのかもしれません。

 長々と胡乱な話を書いてきましたが、結局私が言いたかったことはそれだけです。

参考文献

・『一休和尚全集 第一巻 狂雲集〔上〕』 平野宗浄 春秋社

・『一休和尚全集 第二巻 狂雲集〔下〕』 蔭木英雄 春秋社

・『一休和尚全集 第三巻 自戒集・一休年譜』 平野宗浄 春秋社

 ※黄泉という語が9回含まれるのは上記の三冊です。ただし数えたのは素人である筆者なので正確性は微妙です。

・『岩波仏教辞典第三版』 末木文美士ほか 岩波書店

・『一休 その破戒と風狂』 栗田勇 祥伝社

 

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