誰かを(集団で)殴るというのは、自分も殴られることを許すという事です。皆さんが、それほど自分の発言と殴りに自信があるとは思いませんでした。
さぞ、自分のことを正しいと思っているのでしょうね 幸せな事です。
その対象が孤独なら何をしてもいいと思っているらしいしね。報いも集団に混ざれば軽減できると思ってるらしいしね。そりゃ一人一人カウンターは出来んわな。人間減るし。
そんな感じ?相変わらず文初めは苦手です。年賀状並みに。
――そろそろ押し付けられた自分の本名忘れそうなくらい――
でも、ずるしたら殴ってもバレない可能性を増やせます。
ですが、ずるをするってのは、ルールを破るって事であり、ルールを破った存在の事をルールは守ってくれません。
ずるしたものを盗まれても、どこにも訴え出る事が出来ません。ずるというのはかなりの博打な訳ですね。
ルールが無い世界は超実力主義 つまり地獄ですね。地獄は何でもありであり、何でもされることを受け入れないといけません。受け入れなくても降りかかります。無慈悲。
最低限のルールがあっても、地獄より自由な幻想郷は結構すごいです。すごい。
――全体的に語彙力が無い――
でもすごいんだから仕方ないじゃん。説明は出来るけど今はそんな気分じゃないだけで。
語彙力減らした文は多数の人に読んでもらえます。それは、読める人が多いからなんでしょうね。思考停止帰依の物を釣れます。
でも、当然まともに読んでもらえる例はほとんどありません。「分かりやすい」は、相応のデメリットがあるのでしょう。
現代は、多数に見てもらえる事を重視しすぎて、このデメリットを一切見ない特徴があります。
相応のデメリットは「自分が書きたいものが書けなくなる」と言う致命的なデメリットで、しかも慣れてしまうとそれすら認識が出来なくなります。
でも私は、幻想郷のすごさは結構伝えようとしています。どうせ現代人が実在を認めないんだから伝えなくていいって?それもそうだな。
――伝達者に任せよう――
まあメリー候補探してる?って言われたらそうっちゃそうなんですけど。力の発現見せてもらえれば尚好。
――別にメリーがラフカ(ry系統を指してる訳じゃないけどね――
最近の課題:見てもらうための創作ではないが、見てもらわないとメリーにたどり着かない
これを破るためには、やっぱりずるが必要です。ちょぴっとだけでも。
明確に定められているのに人が把握しきれない幻想郷のルール違反は、あの易者回くらいなもんで。だから男型なんだよ。あれはただの一例ですが。
急きすぎてルールを把握しきれてなかった例ですね。最新酔蝶華でも片鱗がありました。
急ぎ過ぎたメリーが潰れていくのは残念です。でも急がないと人間の寿命じゃ間に合わない、的な?
まあここに辿り着けてないなら、それは興味で繋がる縁が無かったって事でしょう。
ずる自体は、多少は必要ですね。
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