初めに
獣王園のおまけテキストを読んでいると何気なくとんでもないことが書かれていた。
○日白残無のスキルアタック
全ての妖精を沈静化したピュア霊に変えます。もう戻りません。可哀想に。
可哀想に…強く生きて…(もう幽霊だけど)
中々ひどい話ではあるが、この記述と残無の「虚無を操る程度の能力」の描写を合わせると妖精という存在についてある程度考察可能ではないかと考えた。
生命力について
まず幽霊について軽く触れよう。
死者そのものの具現である亡霊と勘違いしやすいが、幽霊は必ずしも死者の霊とは限らない。幽霊のまま生まれ、そのまま消えていく者も居る。亡霊とは異なり、死者から複数の幽霊が生まれる事もある。その性質は妖精に近く、妖精が自然の具現なら、幽霊は気質の具現である。
東方求聞史紀 幽霊の項目
幽霊は妖精とは対になるように「気質の具現」とされている。
さて、自然の具現に対して虚無を操るとなぜ幽霊(気質)となるのだろうか?
手掛かりとなるのは、ZUN氏の「精霊」についての回答だ。
精霊は、殆ど人格を持っていません。 自然そのものなので喋れない場合が殆どです。 ただ、喋れる(様に見える)者もいます。例)山に向かって叫んだときに返事をする山彦 とか 妖精は、もう少し精神的な(高度な)存在なので、喋れる者が多くなります。
ZUN氏の過去の質問回答より
ここでは、精霊とは「自然そのもの」と定義されている。
そして、妖精とは自然そのものに精神的な要素を足した存在とされている。
自然そのもの、というとかなり抽象度が高いが、これに関して作中で以下のような言及がある。
もっとも妖精の生命力が失われる
季節の境目、土用……それぞれの季節と季節の間には、春夏秋冬の
どの季節にも属さない瞬間というのがある
その瞬間は自然の力が衰え
精神が生命を凌駕するのだ天空璋EX 隠岐奈の台詞
上記や他の三月精などの描写から読み解くと、概ね「自然≒生命力」と考えられるのではないだろうか。
ここまでの情報を雑に式にすると、こうだ。
- 幽霊 = 気質
- 自然そのもの = 生命力
- 妖精 = 自然そのもの + 精神的な要素
- ピュア霊(幽霊) = 妖精 + 虚無
そしてこれら展開すると…
- 気質 = 生命力 + 虚無 + 精神的な要素
そして精神的な要素と呼ばれているものが気質とほぼ同一のものと仮定すると、「虚無」がなんであるかが見えてくる。
- 気質 = 生命力 + 虚無 + 気質
この式が成り立つのは「虚無」で生命力を0に出来るとき、つまりこのとき残無から妖精に与えられた虚無とは「マイナスの生命力」のようなものではないだろうか?
根拠となりそうな原作の描写としては、獣王園の八千慧のストーリーが挙げられる。
- 獣王園の八千慧ストーリーEDでは残無の能力により無気力な状態になっていた。(なーんにもやる気せん、とのこと)
- 同様に、三月精VFS13話では隠岐奈に生命力を奪われていたサニーが無気力を訴えている場面が存在する(なんかダルくてさー、とのこと)
目に見えた行動が抑制されたこれらと対照的に、自然そのもの(≒生命力)とされた精霊の例えとして
例)山に向かって叫んだときに返事をする山彦
が先に挙げられていたが、これは行動を伴う現象である。
つまり、生命力とは「現象そのもの」ではないだろうか。
…と、ここまで長々と書いたが、実は求聞史紀の妖精の項目冒頭に阿求がこう書いている。
自然現象そのものの正体。
妖精の持つ精神
生命力は現象そのものであり、自然現象の正体は妖精である。
しかし、自然現象がそのままイコール妖精、というわけではない。
何故なら精霊とは違い、彼女たちは「精神(気質)」も持っているからだ。
風の精霊が居たとして、それらは意思を持たずその場に風をもたらす、「風そのもの」と言って差し支えないのだろう。
しかし、妖精は意思を持って風を吹かす力を行使する。例えば、目の前の人間のスカートをめくるために。
現象に「精神」が宿ることで”悪戯”に変わる。
自然現象そのものが妖精の無邪気で子供らしい気質を通して、世界に出力される。故に彼女たちは総じて悪戯好きと評されるのだろう。
石桜にならなかった妖精達
「精神」を軸に考えると天空璋の余波で石桜にならなかった妖精達の共通点が見えてくる。
それは純粋な生命力に依存しない領域を持っていることだ。
まず、三妖精は妖精の中でもかなり特異な存在だ。群れを成さないとされている妖精の中で、常に三人一緒に暮らしており、その暮らす家も人工物が多く料理をする、屋台に出るなど文化的な生活をしていることが伺える。そして彼女達の現在の住居は博麗神社の境内(神域)の大木である。
特にルナチャイルドは人工物を集める習慣があるらしく(白月精参照)、紫から三人の中で最も妖怪に近いと言われている。
チルノの精神的な特異性は天空璋で顕著だ。確認できる限り、肌の色が変わるまでの暴走を耐えた唯一の妖精であり、精神が生命力を凌駕し妖精が苦手とされる土用を使いこなし隠岐奈と戦った。そもそも紅魔郷、妖々夢のおまけtext時点では妖怪と記述されていたりする。
クラウンピースは出自からして特殊な地獄の妖精であり、特筆すべきはヘカーティアの部下である点だろう。主従関係が存在する妖精は他に紅魔館のメイド妖精達ぐらいであり、彼女達もほかの妖精より明らかに背が高く描かれていたりする謎多き存在である。そして人工物にすむメイド妖精と同様に、博麗神社の下が合うという特殊な性質の持ち主でもある。
エタニティラルバは隠岐奈によって常世神との類似性が示唆されている。あまり本人は気にしていなさそうだが、常世神の伝承によって妖精本来の力とは別の領域の何かを持っていてもおかしくはない。実際に三月精終盤で暴走を理解する、局所的かつピースの松明を借りてとはいえ、気候の顕現という緋想の剣のようなこともやってのけた。
興味深いのはリリーホワイトだ。彼女はネームド妖精の中で唯一石桜になっている。彼女の力が他と比べて弱いかというとそんなことはなく、サニーが春のリリーホワイトを目撃した際には恐れおののくほどの力を持っていたらしい。春以外に普通に活動していることも、夏の花火大会が舞台であろうグリモワールオブウサミでわかっている。しかし彼女は「春告精」とまで呼ばれ春、ひいては生命力への依存度が高いゆえに石桜になってしまったのではないのだろうか。
石桜にならなかった者に名無しの大妖精達もいるが、彼女達についてはあまり情報がないので一旦置いておくとする。
妖精の死について
花映塚チルノルートで映姫が示唆していた妖精の死について。
未だ正確にはわからないが、石桜の件と残無の幽霊化の件で妖精の死亡ルートが垣間見えてきた。
少なくとも生命力が無くなれば死にかけるし、死ななくても別の存在へ変容させられることはあるということだ。
東方の世界では幽霊は必ずとも死を意味しないが、少なくとも三途を川を運ばれ、閻魔に裁かれるのは幽霊だ。
映姫はチルノに「様々な所へ出かけ、世間を知ること。これが今の貴方が積める善行よ。」と呼び掛けている。
ストーリーでの戦闘前では、妖精のくせにテリトリーを外れて飛び回ってるせいで色々迷惑をかけているしそのせいで死ぬかもよ?とも言っており、一見矛盾するように見えるが…
これは今までどおり飛び回り自然のまま振舞うのではなく、生命力以外の領域を増やせ、というアドバイスだったのかもしれない。
実際チルノはこれ以降書籍での背景各所に居たり、宴会・屋台への出店、果ては命蓮寺で説法を聞いてたりもする(心綺楼ED参照)。
この映姫のアドバイスによって天空璋において土用、つまり精神の力を御して戦う土壌が育った…のかはわからないが、少なくともチルノが石桜になることは無かった
妖精が脅威となる時は来るのか
現状では種族ごと軽んじられている妖精だが、実は結構扱い方次第では危険な種族なのではないだろうか。
- 生命力を純化させ鬼神の如き力を発揮し紺珠の薬を飲んだ主人公たちと衝突する
- 生命力を暴走させ異変を起こす、一部の妖精は強力な自機勢と並ぶ力を持った
強化ルートとして既に前例が二件も存在し、石桜の件のように居なくなったらなったで幻想郷が成り立たなくなりうる根幹システムでもある。
言わずと知れた幻想郷の管理人である紫に至っては、三妖精の神社の大木への移住の際、わざわざ「超弱い」ことを妖精相手に確認しに来ている。つまり、裏を返せば妖精が脅威になりうる可能性があると彼女は認識していることになる。
しかし、幻想郷にはただの自然現象の化身である精霊が存在するのにも関わらず、妖精が存在し、幻想郷のシステムとして組み込まれているのだ。
精霊にはない、妖精の「精神」が幻想郷に何かをもたらすことを期待されている故に、妖精は存在するのではないだろうか…という妄想を書きこの記事を終わろうと思う。
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