さあゲームをやりましょう

出ましたね。籠らざるを得ない環境になって、世界への知名度を爆発的に上げることになった次世代機が。
紫も今頃、やってるんでねーの?というか。
そんな始まり方をするいつもの創作。

今回に限り、フライング投稿とします。表記上は1/17の投稿はありません。

――神主も気づいてるかのぅ――

平日の夜なのに、そこらじゅうの熱気(気質)が上がりっぱなしです。ゲームは、外の世界の数少ない希望なのでしょう。これだけを生きがいにしている人も居たり…
外の世界の流れを知るには最適ですね。

架空でありながら現実に影響を与え、現実で操作しながらも架空と思う。

『幻想は現実感が薄い現実に存在します。』

神主が創っている間に発表されたんじゃ、これはもう偶然なんていう言葉では済ませられませんね。まあそれでも人間は済ませるのでしょうが…
ゲームはもはや、世界を支配しつつあるのでしょう。その異常な仮想の魅力に惹かれて…

本来、必要がない娯楽の究極化に近い形である事も大きく影響しています。世界を動かすだけなら必要のない事なのでしょう。何度も書く様ですが、無駄こそ美学です。
無駄が余裕であり、やりたい事であり、世界を裏側から動かす一つのエネルギーなのです。

――妖怪はエネルギー?――

河童も流用していたりします。だからなんで水の中で起動するねん。
霊長園といい、何だかんだ畜生にも休息は必要なのでしょう。働き続かせるなんて効率が落ちてしょうがないので。畜生より人間の方が資源してね?

これから先、恐らくゲームブームが巻き起こるんじゃないですかね?幻想郷。そのゲームの形がどうなるかは、未来を見れないので知りませんが…
外の世界のどんな影響でも楽しさに変換する、向こう側の良いところが出ています。

幻想郷は常に現在進行形であり、不変を突っぱねる能動なのだ

今回短めですが、書きかけてたのを全部消して書き直したのでご了承しろ(新手の妖怪風暴論)

現在進行形が向こう側では最も重要なので、ね。

 

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