虚無について色々と

改めて、地獄の支配者らしい能力です。
基本的に地獄は広すぎて、表に戻るため彷徨ってる内に自分がなんなのかすら忘れたりしますからね 60年で記憶は一巡するので余計に。
それを操れるって事は、残無は地獄にあまりにも合い過ぎた存在って事でしょう。暫くは残無天下です。

――残無地下かもしれない――

今回は虚無下の経験をあえて「自ら」味わっている状態で書いています。秦さんの記事辺りで似たようなことをしています。
気まずい場で食事してると何食っても味しねえとかそういう感じ?
感覚が、意識が 別の何かに覆い隠されてたら、そりゃそうもなります。
ただ、こう言った事は最終的に自分しか解決できません。自分帰依。
こういう時に選択を自分以外に委ねると、それに縋りすぎてしまうのでしょう。まるで人間霊の様に。

文を書けているのに虚無なの?って疑問を問われると、虚無だからといって呼吸すら止めたら肉体が成り立たなくなります。あくまで、鬱の一種、一側面といった部分であり、最も逃れられない一面であるのでしょう。
操る主が虚無だったら成り立ちませんし。
文のキレ具合は2割減くらいしているかもしれませんが。

獣王園は、やたらと幻想の存在が残無に心奪われます。ある意味ストーカーが惚れるのも仕方ないと言えます。
普通は裏切られたらそうはなりませんが、幻想の存在に関してはサプライズであり、忘れられない体験であるのでしょう。鬼って裏切りが主体ですし。
会いたい時に会えず、会いたくない時に会わせる手腕は見事です。あれ?残無この事支持してたっけ?
まあでも、そうなっちゃったので残無の手柄なのでしょう。本当の強者って、手柄に貪欲なのではなく、全てを手柄、と言うか経験にするのですから。

『…あっそう、妖怪の思考はよく分からん』

←文の主は分かる側

書いてる内に創作パワーで虚無が治りました。躁と鬱は表裏一体。僧なのかー?

新作までに、ラスボスのおさらいはしておきたかったのでね。新作出てからだと時代遅れになっちゃうし。

非日常が日常に戻った後にも残無の影が残り続ける、が大体の獣王園の結末ですが、霊夢だけそれを回避しています。
全てを支配しなかったことにして、唯一霊夢に勝って(霊夢は鬼には負けがち)幻想の土地の支配者を固定させたのでしょう。

これを顧みてみると、残無は虚無より恐怖を残したと言えます。地獄は近いぞ。という当たり前の恐怖を。アガルタの風辺り。
力なきものに虚無を。力ある者に恐怖を。
それが、残無の本質なのでしょう。地獄の支配者として限りなく理想的。

さあ、あなたはどっちだ?

 

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