月の都の重要人物として見え隠れする嫦娥。その詳細はほとんど明かされておらず、大きな謎となっている。
今回は彼女の元ネタである中国神話の女神「嫦娥」のルーツを探ることで、東方の「嫦娥」の実態にも迫っていきたい。
現代に伝わる嫦娥伝説
嫦娥の主な元ネタは中国の古い伝説で、現代では『嫦娥奔月(嫦娥月へ奔る)』という名の物語として親しまれている。
よく知られているあらすじは以下のようなものである。
昔、羿が西王母から不死の薬を授かった。
しかし羿の妻の嫦娥はこれを盗み食い、一人で天に昇ってしまった。
嫦娥は月に辿りつき、ヒキガエルの姿となった。
嫦娥の夫、羿(げい)は『紺珠伝』エンディングにもその名が登場する。彼は純狐の夫でもあり、数多の伝説を残す英雄でもあるのだが、今回はあまり触れない。同様に、彼に不死の薬を授けたという怪神、西王母(せいおうぼ)についても割愛する。
伝説の年代
羿が太陽を射落としたのは帝堯(ぎょう)が治める時代であるため、嫦娥が月へ昇ったのもその頃のことと思われる。堯は伝説時代の帝であり、在位していた正確な期間はよくわからない。だいたい紀元前2000年より前、今から4000年以上も昔のことらしい。
ちなみに、純狐が登場するのは夏王朝初期、紀元前1900年頃であるため、元ネタの嫦娥は純狐と面識が無い。
古代神話の嫦娥
紀元前4~3世紀頃に書かれたとされる中国の地理書『山海経』には、十二個の月を生んだ「常羲(じょうぎ)」という女神が登場する。彼女は天帝(天の世界の最高神)である俊(しゅん)の妻であり、俊のもう一人の妻である羲和(ぎか、ぎわ)は十個の太陽の母親でもある。つまり、十個の太陽と十二個の月(十干と十二支に相当する)が異母兄弟であるという世界観なのだ。
月を生んだ〝常羲〟と月に昇った〝嫦娥〟は明らかに類似しており、神話学者の袁珂(1916~2001年)は「おそらく同一の神話が分化したのであろう」と指摘している(*1)。
『東方』の嫦娥に常羲の性質が含まれている様子は今のところ無い。
(*1)袁珂『中国の神話伝説 上』青土社,1993,p.436
伝説の原典
現存する書物における嫦娥(≠常羲)の初出は、紀元前140年頃に書かれた『淮南子』であるとされている(*2)。『淮南子』は神話や物語の題名ではなく、この世の道理や人間の在り方など様々なことを説いた百科事典のようなもので、その中に寓話としての神話、伝説が数多く引用されている。よって、嫦娥の伝説も完全な形で残されているわけではない。
ここで見ることのできる物語は、以下のごく短いものである。
「譬若羿請不死之藥於西王母,姮娥竊以奔月,悵然有喪,無以續之」
日本語に訳すと、「たとえば、羿が不死の薬を西王母に請うた際、姮娥がこれを盗んで月へ逃げ、羿はただ茫然自失するだけだったようなものである」となる。この簡素すぎる一文こそが今に伝わる嫦娥伝説の〝原作〟と言うこともできる。
なお、ここでは嫦娥の名が「姮娥」と書かれているが、姮娥(あるいは恒娥)は嫦娥の本来の名前である。この名前が使われなくなったのは漢の文帝の諱(いみな)である「恒」およびそれに似た「姮」を避けたためであり、両者に本質的な違いは無い。
西暦200年頃に書かれた淮南子の注釈書『淮南鴻烈解』によれば、「𢘆娥羿妻羿請不死之藥扵西王母未及服之𢘆娥盗食之得僊奔入月中為月精也」(恒娥は羿の妻。羿は西王母に不死の薬を請うたが、服用する前に恒娥がこれを盗み食い、仙を得て月中に逃げ、月精となる)とある。
西暦728年に書かれた『初学記』は、淮南子から「羿請不死之藥於西王母,羿妻姮娥竊之奔月,托身於月,是為蟾蜍諸,而為月精」(羿が不死の薬を西王母に請うた際、羿の妻の姮娥がこれを盗んで月へ逃げ、その身を月に託した。これが蟾蜍(せんじょ、ヒキガエル)であり、月精である)という一文を引いているが、現存する淮南子には見られない。
以上の関連文献から、「嫦娥は羿の妻である」「月へ昇った嫦娥は月の精(蟾蜍、ヒキガエル)になった」という追加情報が得られた。
『淮南子』以外の系統では、1600年代の史書『繹史』が引く張衡(78~139年)の『霊憲』に、「嫦娥は月へ逃げる前、有黄という名の巫師に吉凶を占わせた」という一節がある。これは300年代に書かれた『捜神記』巻十四(351.月の精)とほぼ同じ内容である。
『霊憲』の日本語訳が見つからないため、平凡社『捜神記』から占いの内容を引用する。
吉だ。軽やかな帰妹、ただ一人西方へ旅立とうとしている。途中で天が真っ暗になっても、恐れたり驚いたりしてはならぬ。やがては大いに栄えるであろう。
――竹田晃 訳『捜神記』平凡社,2000,p.424
この占いの後、「嫦娥遂託身於月,是為「蟾蠩」。」(嫦娥はついに月に身を寄せた。これが蟾蠩(ヒキガエル)である)と続く。
これらの文献を総合することで、「羿は西王母から不死の薬を得た。しかし羿の妻の嫦娥はこれを盗み、有黄に吉凶を占わせ、一人月へ昇り、ヒキガエルになった」という『嫦娥奔月』の大筋が完成する。
(*2)楠山春樹『新釈漢文大系54 淮南子 上』明治書院,1990,p.319
神話の肉付け
このように、嫦娥伝説の原典は非常に簡素であり、登場人物の心情や物語の脈絡のほとんどを読者が想像するしかない。
そもそもどうして嫦娥は夫を裏切るような真似をしたのだろうか。
袁珂らは、「九個の太陽(天帝の息子たち)を射殺した羿が天帝(帝俊)の怒りを買い、妻の嫦娥もろとも神から人へ堕とされた」ことが夫婦仲の亀裂の原因だと解釈している(*3)。特に矛盾も無く、現代におけるスタンダードな解釈と捉えて問題ないだろう。ただし、「天帝の怒りを買った羿と嫦娥が神籍を剥奪された」という設定はあくまで袁珂による推測である。嫦娥がもともと天上の神であったのか、地上で羿と知り合った人間であったのかを明示する古書はおそらく無い(袁珂は、前述の常羲との関係性から、あくまでも嫦娥は天上の月神としての性質が先にあり、人間の娘とする説は誤りだと指摘している)。
なお、「羿が狩りをしている最中、月桂樹の下で嫦娥と出会った」という情報が散見されるが、これは近年ネット上で流布しているデマであると思われる(*4)。
月へ昇った嫦娥がヒキガエルになったというのも細かい理由は語られていない。「夫を裏切ったことによる天罰」という解釈はまったく妥当に思えるが、厳密さを求めるのであれば、これも後人によって補完されたディテールの一つである。
中国ではもともと月の模様をヒキガエルに見立てていたため、「是為「蟾蠩」。」などは「これがかの月精の正体なのである」というニュアンスにも読める。おそらくは、「月の模様がヒキガエルに見える」→「ヒキガエルは月の精である」→「その正体は月に昇った嫦娥である」という順番に伝説が形成されていった結果、嫦娥の身に一見脈絡のない変身が降りかかってしまったのではないだろうか。
(*3)『楚辞』天問およびその注釈書『楚辞章句』に、羿が洛水の女神「虙妃」を妻にしたという伝説がある。袁珂はこれを嫦娥に対する不貞行為であるとし、夫婦仲の悪化の一因に数える。
(*4)ソースとされる『淮南子外八篇』という書物自体が実在しない可能性が高い。以前「偽文である」と断定している中国のサイト(「乌海市教育局」)を見たのだが、当該ページが見つからなくなってしまった。
後世の創作
嫦娥は有名な月神であるため、後世の創作物にもたびたび登場している。
たとえばかの有名な『西遊記』では、酒に酔った猪八戒が嫦娥に強引に言い寄った罪で天界を追放、地上に落とされている。
短編怪異小説集『聊斎志異』には嫦娥をメインに据えた物語が存在する。この嫦娥はなんらかの罪で一時的に地上に落とされており、そこで出会った人間の男と結婚し、男女の二児をもうける(余談だが、この手の仙話で女が男の元を去らないケースはやや珍しい)。ちなみに、『聊斎志異』には霍青娥の元ネタの物語も収録されているため、ZUN氏がこの嫦娥の物語を読んでいる可能性が多少ある。どちらの話も岩波文庫『聊斎志異(下巻)』収録。気軽に読める短さなのでオススメ。
東方における嫦娥
ここで改めて、『東方Project』の登場人物としての嫦娥を振り返っていきたい。
嫦娥の存在は漫画版『儚月抄』第二話、永琳とレイセンの会話内にて初めて言及される。レイセンいわく、嫦娥の月での名は「地上の人には発音できないはず」であり、二人による発音は「××様」という表記になる。
嫦娥は永琳が作った(*5)蓬莱の薬(*6)を飲んで不死となり、今も月の都に幽閉されている(*5)女神(*6)である。月の兎の支配者であり、強大な力を持っているが、表に出てくることはない(*6)。多くの玉兎たちは嫦娥の罰の代わりとして(*5)もう何千年もの間、未完成の蓬莱の薬を搗かせられ続けている(*7)。
東方の世界においても嫦娥は羿の妻であり、永琳からは「悪妻」「天賦の才を持っていた」と評される(*8)。
現在はヒキガエルの姿にされている可能性がある(*9)。
……わかっていることはこのくらいだろう。とりあえず、これらの情報を元ネタと比較していきたい。
まず、元ネタでは西王母がもたらしていた不死の薬が、『東方』では永琳によって作られたことになっている。東方には西王母にあたるキャラクターが登場していないため、ここは好きなように解釈することができる。永琳が羿に薬を与えたのでも良いし、永琳が西王母に与えた薬が羿の手に渡ったでも良い。
そもそも、東方の嫦娥は本当に「羿から薬を盗んだ」のだろうか。実はこの部分は明言されていないため、やはり想像の余地がある。とは言え、永琳の「悪妻」評が示す行為は薬の奪取以外に思い当たらないため、第一の候補であることは間違いない。
月の兎と嫦娥の関係の明確な出典はわからなかったが、関係有りとする伝承がやはり存在するらしい。月に兎がいるという発想自体は『楚辞』天問(紀元前4~3世紀頃)、その兎が薬を搗いているという伝説は『擬天問』(3世紀頃)辺りが初出らしく、この「薬搗き」が日本に伝わる過程で「餅搗き」に訛伝した(*10)。
永琳の評で唯一よくわからないのが、「天賦の才を持っていた」という部分である。元ネタの伝説では嫦娥が特別優れた能力を発揮している様子は見られない。おそらくZUN氏のなかで独自の設定、独自の嫦娥観が固まっているのではないかと思われ、今後の展開が期待できる。
(*5)漫画版『儚月抄』第二話
(*6)『紺珠伝』omake.txt
(*7)小説版『儚月抄』第六話
(*8)『紺珠伝』某エンディング
(*9)『東方外來韋編 <壱>』紺珠伝インタビュー
(*10)楠山春樹『新釈漢文大系54 淮南子 上』明治書院,1990,p.319
天上の世界
袁珂の説に従う場合、「嫦娥や羿は神の世界から追放された」ということになる。では、『東方』の世界観ではここをどう解釈すべきだろうか。
真っ先に浮かぶのは「天界」だ。東方の天界は「有頂天」や「非想非非想天」といった仏教的イメージが付きまとう一方、仙人が目指す場所であることや、妖怪の山から到達できること(古代中国では「天梯」の性質を持つ大山や大木を伝って神界と人間界とを行き来できた)(*11)など、中国神話の天上世界観と合致する部分がある。確証は持てないが、嫦娥がもともと天界に住んでいたという可能性は一考する価値がある。
(*11)袁珂『中国の神話伝説 上』青土社,1993,p.117
嫦娥が辿った経緯
最後に、嫦娥が月の都で幽閉されるに至った経緯を考える。
A.天界→地上→月
B.中国的天上世界(東方では未出の異界)→地上→月
C.月→地上→月
D.地上(中国)→月
E.地上(日本)→月
F.生まれたときから月にいる
元ネタのスタンダードな解釈に最も近いのはA、あるいはBになる。
Cは『東方』の月の都が中国的天上世界を包含している場合に成り立つが、月の都は月夜見とその親族が創設した世界であるため、中国の天帝や天神たちと共存している状態は少々イメージしづらい。
Dは嫦娥がもともと人間の娘で、羿と地上で出会っていた場合に成り立つ。月に昇ってから女神として祀られたとしても矛盾ではない。
E、Fはそもそも嫦娥が月夜見の親族だったという強引な設定。もはや元ネタを放棄しているが、元ネタに拘りすぎるのも視野を狭める結果に繋がりかねないだろう。
幻覚度が特に低いのはAとBだが、それ以外の可能性もゼロではない。謎の女神の正体はまだまだ謎のままということか。
追記:
本考察はなるべく原典に近い神話を調査対象とした。しかし、『嫦娥奔月』の物語は後世の改変によるバリエーションが少なからず存在する。中には「強盗に襲われた嫦娥が仕方なく薬を飲んだ」など、より悲劇的に脚色したものもあるようだ。
『東方』の嫦娥をデザインするにあたってZUN氏が参考にした物語にはこのようなものも含まれ得るはずなので、本来ならば積極的に採集すべきだったのだが、今回はすべて対象外としてしまった。いずれ誰かが補完となる考察を投稿してくれると嬉しい。
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