ミゼラブルフェイト・イブ

今回は特別…って、特別って付けたら何でも特別になるんでしょうか?いつもと同じくキーボードカタカタしてるだけなんですけどね。
特別って語句は、商売の一環に過ぎないって事ですかね。
その辺りは、文花帖永琳記事辺りで言ってましたっけ?そんな気がしてた。

因みに、現代人は「逃れられない」運命として解釈したいと思い込み、どう足搔いてもそう解釈するんでしょうけど、私は「悲惨」の方で捉えています。
レミリアも、ちょっち危ないかもね。

クリスマスも、輸入されてきただけです。
幻想郷じゃ、外来人経由でしか伝わってません。まあ、祭りならいいんじゃないでしょうか?非日常だし。

そんな、妖怪に怯えるだけの人里の夜
どうして、楽しめようか
余裕も無い暗闇を 変えようとしない暗闇を

向こう側の人里の夜を覗き込む度、そう思ったりもします。
他人事ではないですよ?死までにどうにかして地獄行きを回避しなければ、もしくは 回避できるだけの何かを手に出来なければ、そうなるだけなのですから。

【これにどう返そうと、これを読んでいるあなた、100年後には生きていませんよね?】

運命なんて容易く混沌に返されるんですよ。縋れるのは生きている間だけであって

――幻想郷が「死んだ者」の集まりって、もう言ってたっけ?――

人里も、外の世界も、地獄も、何も変わらないのかもしれません。
食い物にされるだけで何も反撃できない集いと言う意味では。

そんなイヴです。林檎の方?それだとフランドールでは(ぉ

運命の消費期限、長持ちしませんねぇ。保存料たっぷりでもいずれ朽ちるし。
鮮度保持剤たっぷりぶちこみましょうか?それでも長続きしないんでしょうねぇ。
まるで合成筍だ。元は生命の塊だったのにさ。

そういう意味では、タイトルもかなり皮肉な事になってると言わざるを得ません。
まあ祭りは楽しめばいいのでしょうけど、個々の楽しみであったはずのプライベートだった筈なのを、無理やり集団のパーティに投入されてても違和感を感じないくらい。それほど集団とは大事なのでしょうか?よく分かりません。

私がレの字に感じてる危機は、フランドールに対する対応とかパチェさんに対する慈悲とかの部分です。
情が先行しては、何れ躓くと思っているので。可能な限りと言うか、表に出すのは極限まで控えた方が良いです。出すとしても何らかの大義名分的な何かをやっといた方が良いです。
なんせ、私がフランドール側に近いので。そう感じざるを得ません。

タイトルも変更した方が良いんですかね?「掌中の破壊者・イヴ」とかに。
って、これじゃ破壊前夜的な意味になってしまうのでアレ(ぉ

こんなタイトルですが、あんまり感傷とかロマンチックな感じはしません。
そもそもシリアスって妖怪の天敵なので。

楽しむのはいいですが、自分が向かいたい方向とは真逆に進んでいませんか?って事ですね。
それなら目の前の障碍を破壊するのに費やした方が絶対良いってお話で。
なんせ、私もこの罠に陥りがちです。よく言われる、手段と目的を履き違えるな に近いですね。

創作を消費できるのは、機械でなく人間である。
これは間違いなく意識がある者のメリットなのだが、消費するだけに回ってしまうと、途端に存在価値が怪しくなる。この価値は、自分が自分に向けるものすら、だ。

これを回避するには、創る側に回る事が必要不可欠である。

地獄じゃ、世界視点で存在がどうでもよくなった奴から消えます。
創作し続けていなければ、とても意思を保ち続けられるとは思えないので、ね。
運命でしか動けず、最後まで見向きもしてくれない、いや、存在すらしない運命を忘れながら、神霊みたく消えて逝くのです。

さあ、別にクリスマスだからクリスマスらしいことをやれって言ってるのではないんです。創りましょう。自分にしか創れない創作を。
消費してくれる相手が誰一人見当たらなくたって、創りましょう。自分が愉しいならばそれだけで創作は輝くのです。

 

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