績めよ、榮よ、地に未知よ

増やし時です。って言うと物凄くアレなんですけど。
その先に幸せを確信しているならいいでしょう。結果的に幸運を呼び寄せる事に繋がっても、本人たちは何も考えてなさそうだけどまあいいでしょう。
問題は、かつての童や被差別民はそれをしなかったという事です。

この時期は嫌でもそういう事が流れ込んでくるというか。だったらむしろ利用せざるを得ません。上手い事楽しめ。
人里は絶対数が少なすぎてそんなことは無さそうなんですがね。

まあ別にいいんじゃないですかね?人間だし。

でも、大空魔術的な思想で行くと、増えるのにも歯止めがかかっています。これは、人は物が豊かになっただけでは決して精神は幸せにならない(寧ろ便利な道具に慣れ過ぎて悪化)事を薄々自覚してきた、という事でしょう。

――というか既に現実問題なよーな――

妖怪は、生まれつきでも結構な自我を持っています。これは生まれたての赤ん坊(肉体)に封じ込められた制限などが無いからです。質量保存の法則涙目。
既にまともな肉体と言える物は無いようなもんなので、三大欲求の2つが存在しません。
これは、楽しむ事に肉体は必要ないという事の裏返しなのでしょう。無いと一気に不安に陥るようですが、なくても考えられます。

そう考えると、楽しみへのレールを捻じ曲げられてる人間が少し哀れに思えてきます。

テーマが割と引きずられがちですが、マイブームなので仕方ありません。精神の余裕は生きてても死んでても優先度が高いので。
周りのブームに引きずられてても別に構わないのですが、思考すら誘導されてては意味がありません。時期やイベントに劣らない、劣らされない確固たる思考が必要なんでしょう。

これ(死後)は 私のエゴという訳ではなく、現実の問題として存在してしまっているのです。その存在は人間の現実逃避でいくらでも覆い隠せますが。生きている内は。
赤ん坊も、どこから来ているのでしょうねぇ、的な?まさか人間が呼び寄せられるはずも無かろうに。

妖怪はそういった適任がいないので、食料の天然モノじゃない方の担当は若干1名に押し付けるばっかりです。
それで成り立っているからいいのですが、補佐は必要なのかもしれません。

なあに、人口総数が相当少なかった時代にも妖怪が跋扈していたし、今や現代の合成物みたいな体制も整っているのですから、大半には影響はありませんよ。
しかし…リサイクルは出来るのでしょうかね?紫が映姫に会いたがらないって”そういう事”なんじゃないかと思うのですが。

外の世界は精神方面で学ぶことが絶滅寸前ですが、辛うじて生きています。本当に生きているだけの埴輪なのかもしれませんが。
そういう外の世界も必要なのです。裏にとっては。ヘカーティアのアポロ撃ち落とされ論と同じ。

私のやる事は裏に貢献するようなことだけです。別に表には何も残さないし、墓まで持っていくつもりですが。

コメント